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古来変わらぬ原料を用い、同じ製造法で鍛造している日本刀は
日本のものづくりの究極の存在だといえるのではないでしょうか。
日本刀を制作する職人「刀匠」の最高位である「無鑑査」に史上最年少でなり、
2010年には刀匠界の最高権威「正宗賞」を受賞した刀匠の宮入法廣さんに
日本刀の魅力や刀匠の世界について語っていただきました。

鉄そのものの美しさを追求

まずは日本刀の世界についてお話ししましょう。
日本刀を鑑賞する際のポイントは3つあります。まずは「姿」、これは刀の姿かたちです。長さや刀身のそり方などにその時代ならではの特長が表れています。そして「地鉄」(じがね)。日本刀の素材である鉄そのもののの魅力です。研ぎ澄まされたなかにもさまざまな模様が見られ、これを「景色」と呼んでいます。3つめが「刃文」(はもん)です。これは刃の上に浮かび上がる模様のようなもので、刀身に粘土のような土をつけて焼くことで生まれるものです。刃文に注目すると、日本刀が製作された時代や流派の違いがわかりやすいでしょう。

刀(剣)はいろいろな国で美術品として親しまれていますが、西洋の剣は刀身に装飾を施したり、宝石をあしらうことで美術的な魅力を高めています。日本刀のように、素材である鉄そのものに価値を見出し、鉄そのものの美しさを追求しているものは他の国にはありません。

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日本刀を見るときは「姿」「地鉄」「刃文」に着目しながら、鉄の質感にも注目しましょう

名刀「燭台切光忠」を再現

日本刀の制作方法は700年以上前と変わっておらず、刀に使う素材は「玉鋼」(たまはがね)のみです。玉鋼は国内産の砂鉄を古来の製鉄技術「たたら吹き」で製鉄したもので、鋼の中では最上質のものです。
鍛治の技術を用いて日本刀を制作する職人を「刀匠」といいます。日本刀は武器というイメージがあるかもしれませんが、古来、美術品としての側面が色濃いものです。私たち刀匠も美術品としての日本刀「美術刀剣」を制作しているのです。切れ味でいったら美術刀剣より一般的な柳刃包丁のほうが切れるかもしれませんね。
とはいえ日本刀は誰でもつくっていいわけではなく、制作するためには文化庁の認可が必要になっています。資格を持った師匠のもとで5年以上修業すると検定試験が受けられるようになり、これに合格すると認可となります。非常に厳しい道のりです。いま現在、認可を受けた刀匠は全国に350人いないくらいでしょうか。その中でも日本刀の制作だけで生活ができている人は1割もいないのではないでしょうか。

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「日本刀を題材にしたゲームなどをきっかけにファンの裾野が広がるのはありがたいですね」と宮入さん

私の場合、美術館や博物館などに収蔵されている日本刀を再現する仕事が多いですね。今年(2018年)の1月には、およそ2年がかりで取り組んできた水戸徳川家に伝わる名刀「燭台切光忠」の再現を完成させました。最近は日本刀を題材にしたゲームなどが人気なので、「燭台切光忠」の名前を聞いたことがある人もいるかもしれませんね。オリジナルは関東大震災で焼け焦げてしまったので、それと寸分違わぬコピーをつくるのです。
鎌倉時代につくられた名刀の復元ですから厳しい作業ですが、そのうえ「燭台切光忠」はオリジナルが焼けてしまっているので、姿も刃文もわからないんです。そこで、江戸時代末に編纂された水戸徳川家の刀剣帳「武庫刀纂」(ぶことうさん)に残された刀身の精緻な絵を参考に制作することにしました。何度も試作を繰り返して、やっとのことで完成させました。刃文はもちろん、鎌倉時代の古刀ならではの雰囲気も再現できたと思います。どのように制作されたかの記録がない古刀の再現でしたので、今は途絶えてしまった700年前の技術を再現することにもなったと思っています。

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玉鋼(たまはがね)。鍛錬を繰り返すことで日本刀へと姿を変えていきます

技術は教わるのではなく、見て覚えるもの

人間国宝にもなった刀匠の宮入行平が私の叔父でしたし、父もまた刀匠だったのですが、当初は刀匠よりも焼物、陶芸の方に興味がありました。でも、師匠となる隅谷正峯と出会い、その作品や考え方に惚れ込んでしまったんです。それで自分の進むべき道が刀匠だと気づきました。
刀匠の世界には流派というものがあり、父や叔父の宮入一門は「相州伝」、私の師匠の隅谷正峯は「備前伝」という流派に属しています。両者では作風も仕事の仕方も、さらにいえば日本刀に対する根本的な考え方も異なります。当時は別の流派に弟子入りすることはタブーだったので、当時は本当にいろいろと言われたものです。隅谷正峯が大学の理工学部出身ということもあり、隅谷は合理的な考え方を重視する、昔ながらの職人というよりはクリエイター気質、創造性を大切にする風土でした。
とはいえ修行期間は厳しかったですよ。昔ながらの徒弟制度の時代でしたので、師匠の家に住み込みで4時起きで修業というような毎日でした。ものづくりの技術は理論だけでは絶対に身につきません。言葉ではごく一部しか伝わりません。技術は教わるというよりは、見て覚えるもの。師匠のすぐ近くにいて、一挙手一投足を見守り続ける。師匠は次に何をしようとしているのか、それを考えながら感覚を研ぎ澄まして見るのです。その後に自分でその作業をやってみても失敗が続くでしょう。失敗したときはなんで失敗したのかを自分で考えて、その失敗を次に活かす。そういうときに、これまで見て覚えてきたものが役に立つんです。
特に鉄を扱う鍛治の世界では、「鉄は熱いうちに打て」という慣用句があるようにスピードがとても大切です。というのも鉄は赤める(火にかけて鉄を赤熱させる)たびに強度が弱くなっていくからです。鉄を鍛錬するときに躊躇する時間はありません。鉄を赤めたら、冷めるまでの短い間にどれだけ仕事を進めるかが要です。次に何をしようかというとっさの判断が必要な作業ですので、何度も経験を積んで身体で覚えるしかないんです。

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刀匠は鍛治屋でもあるので、自分が使う道具類もほとんどが自家製です

どれだけ無駄をしてきたかが大切

ものづくりの道を選んだのは、大きな組織に所属してその下で働くというスタイルに馴染めないのがわかっていたからです。手に職をつけるしかないと思っていました。ものづくりは、自分の自由な発想をリアルに形として表現できる面白い世界です。
自由な発想というものは、いろいろな作風と身についた技術、そういった経験則からしか生まれてきません。常に一定レベルのものがつくれるのが職人で、そこに自分だけの何かをプラスするのがクリエイター。基礎にはしっかりとした技術が不可欠です。これまでにしてきた経験、どれだけ無駄をしてきたかがこのときになって活きてくるのです。
ものづくりは「作品がものをいう」世界です。ひとたび自分の手から離れたら自分では何も語れません。作品だけがものを言うんです。ですので、これからも常に真摯に作品と対峙して、こつこつと作っていくだけです。

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宮入法廣(みやいり のりひろ)
長野県埴科郡坂城町生まれ。刀匠。長野県無形文化財。2010年に正宗賞を受賞。正倉院宝物の復元や高円宮家女王の御守り刀や、元横綱・朝青龍の土俵入り太刀などを制作。

宮入法廣鍛錬所

住所:長野県東御市八重原2−339
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